共同作業所時代の事件の際に、公金を横領されずに済んだことが何よりの幸運だった。でなければ「社会福祉法人」どころか、ご家族や保健師さん関係の方々が、周囲の善意の力を借りて立ち上げた【大田若草】自体が消滅していただろう。
そうならずに済んだのは、運営委員会の会計の池崎氏が、開所当初から永年に渡り夜なべをし帳簿をつけ、末端の一職員に運営費会計を担わせなかったことの賜物である。
また、常泉智弘医師が自らの利益には全くならない、理事長職を引き受けて下さったことも、絶対に欠かせない幸運であった。「みんなの為(精神障がいを抱える人たち)になるなら、いいよ」即答されたこの言葉がなければ、今もこれからもなかった。
「ENTASに至るまで」✿おわり✿
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