ENTASニュース

ENTASに至るまで/蒲田地域交流支援センターをどうするか①

01 【仮移転】の交渉等を進めながらも【蒲田地域交流支援センター(建物の名前)】の使用方法について、公開会議(という出来レース)が開かれた。【蒲田地域交流支援センター】は、1階の「シルバー人材センター」さん以外は、精神分野の社会資源に使える初の建物だという、大きな旗がかかげられた。戻る大田若草を2階へ移し、3~5階をどう使用するか。私たちの意見は、もちろん「大田若草を2~3階へと広げ、現在、大田区内にはない授産施設を設立する」だった。会議前に集められたアンケート結果は「大田若草に任せ、授産施設にする」「生活支援センターに使用する。家族の集まれる場所が欲しい」と、意見は真二つに割れていた。

会議においても重ねて【大田区どころか23区の南部地域にはまだ授産施設がなく、その必要性】について説明したのだが、ある団体がすでに区内にある生活支援センターをさらに欲しいという、意見を挙げていた。その団体は、様々な団体に重複して加盟する会員に別々の団体名を名乗らせ、会議に同じ意見を述べる頭数をそろえてきていた。どちらも一歩も引かず、進行役の大田区衛生部保健課の課長とX係長(当時)が「では、この続きは次回で」と話し合いを早々に打ち切った。

会議直後、小柳が会議室から退出するとすぐに(既存の)生活支援センターの所長(当時)が追いかけてきて「今回は、我慢してくれない」と、手を合わせて懇願した。【生活支援センターの所長(当時)】が【授産施設設立】を願う私たちに懇願する事は、常識的には考えれば理解できない行動であり、また後ろに見え隠れするするものを匂わせていた。  (つづく)

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