相変わらず、大田区内のデイケアの卒業生が、どんどん発生していった頃、発起人であるMさん(のちの所長)は、各保健所家族会を回り、大田区内5番目の作業所作業所設立賛同者を募っていった。それが、オープンハウス家族会の始まりである。つまり、オープンハウス(以下、オープン)は家族会が初めににできそのあと運営委員会が出来たので、「家族会立」という大田区内でもそれまでの作業所とは、設立経緯が異なっていた。
1986年10月「大田若草」は、現在の西蒲田4丁目(旧土木事務所)への移転が確実となり、空いた「七辻」のアパートを借りられないかと大家さんに交渉。様々な事情があるため長期継続使用は断られたが、1年だけならということで家主さんから許可をもらったが、短期契約に大田区は良しとしなかった。その後、矢口・多摩川地区を中心に数ヶ所見て回ったものの、「障がい者施設」と言えば断られたり、やっと認めてもらえば狭すぎたり、家賃が高かったりと、思うようなところは見つからなかった。そんな2月中旬池上福祉事務所の森憲司氏(その後、オープンハウス運営委員として永くご尽力頂く)から、池上福祉事務所から近いところに丁度良い物件があると連絡をもらい、すぐに物件を見に行った。
…つづく…
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