1992年頃から、中堅職員Pが「新しい施設を作りたい」と、言い出した。S所長とP職員との仲は常に険悪だったが、この時ばかりはS所長も留意した。一旦その話は終結したものと思われていたが、翌年になると再度新しい施設を作るという言動が活発になった。勤務中に協力のお願いへ出かけることも頻回となり、S所長も追認することになる。そして1994年、新作業所設立と同時にP職員は退職した。
しばらくして、社会保険の過少申告及び納付の遅れが発覚する。それに続き、源泉徴収税の未納も分かった。その頃他の作業所も、それらの事務をPに全面的に頼っていた。以前【国民健康保険・年金】から【厚生年金・健康保険】へ加入を変更した際に、多少仕組みを知っていたというPに任せた、という経緯があったと聞いている。しかし、それをその後チェックすることなく、任せっぱなしになっていた。そしてPは、自分の事務能力を超えていたにもかかわらず引き受け続け、着服・過少申告・流用をしたのだった。
唯一救いだったのは、大田若草作業所の補助金については、一職員に任せることなく運営委員会会計池崎氏が管理して下さっていたので、公金が横領されなかったことだと思っている。
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