ENTASニュース

ENTASに至るまで/周辺職員の罪②

P1070279 その後、Pから回収する段階に入ってからは、いつまでもM・I両氏に甘えてはならないと、Y工房所長(当時)・オープン小柳・大田若草宮岡が担当することになった。そして、途中Y工房所長の退職がありつつも、回収作業は2001年8月まで続いた。
この間、事件にかかわった各作業所の態度は様々であり、問題意識の差を強く感じ、さらに言うならば、この仕事に対する意識の差をはっきりと感じるようになる。「社会保険加入後に就職した、知らなかったから関係ない」と、言う者がいた。所長たる者、補助金を受けている作業所の一職員として取るべき行動を教えるべきだと考えたが、実際には「他の職員から言われたから、お金がたまったら自分の所に一番に返してくれ」と言ってきた所長がいた。

以降、大田区内の精神障がいに関わる施設が「連携やまとまりがない」と言われているのは、この事件発生後の対応の違いによって、障がい者施設に対する考え、職員として取るべき態度など、基本的な考え方に大きな差異があることが表面化したからだったと、考えている。
(おわり)

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