ENTASニュース

ENTASニュースでは、月々のおすすめピープル、ENTASの活動報告や、その他つぶやきなど、私達の様々な情報を定期的に発信していきます。

‘共に歩む’の記事一覧

 会議直後、小柳が会議室から退出するとすぐに(既存の)生活支援センターの所長(当時)が追いかけてきて「今回は、我慢してくれない」と、手を合わせて懇願された。その【生活支援センターの所長(当時)】が【授産施設設立】を願う私たちに懇願するその意味は、常識的には考えれば理解できない行動であり、また後ろに見え隠れするするものを匂わせていた。 (前回まで)  そ...

 【仮移転】の交渉等を進めながらも【蒲田地域交流支援センター(建物の名前)】の使用方法について、公開会議(という出来レース)が開かれた。【蒲田地域交流支援センター】は、1階の「シルバー人材センター」さん以外は、精神分野の社会資源に使える初の建物だという、大きな旗がかかげられた。戻る大田若草を2階へ移し、3~5階をどう使用するか。私たちの意見は、もちろん「大田若草を2~3階へと広げ、現在、大田区内に...

 運営委員と連絡を取り合いながら【仮移転・仮移転先・移転費の補助】これらの条件を得るために、数日置きに質問状を提出し続けることになる。小柳も朝から大田若草へ顔を出しその文章内容をチェック、オープンハウスでの勤務後再来訪し内容を練るなど、協力。 移転問題は二転三転したが最終的には【仮移転】という条件を得、仮移転期間中は新蒲田福祉センターの展示室の一部に落ち着けることになった。 新蒲田福祉セン...

「あなたたちは、大田区にとっては単なる駒です」あまりにも衝撃的な発言で、夏休み明けの初日で緩んでいた脳みそもぶっ飛び「行政で当たり前のことでも、一般的に通らない話に、おいそれとこの場で承知するわけにはいきません。第一、所長の一存で決められる内容でもありません」と食い下がった。 すると課長は落ち着いた口調で「本来、このことは区が決定した後知らせればよいことであるから、運営委員に知らせてはいけま...

 1998年。数年前から、大田若草の上階で活動していた子どもの家(学童)が、近隣の学童と統合され2階が空いていた。そこで小柳と『2階の使用許可を取り付け、23区内南部地域にはない授産施設を設立してはどうか』と、共に考え始めていた。 それは以前から「高工賃の作業所を作ろう」という話で新しい作業所を設立しようとすると、必ず「障がい者の振り分けだ」という反対が起こる。それゆえ、活動内容が同じような作業...

 その後、Pから回収する段階に入ってからは、いつまでもM・I両氏に甘えてはならないと、Y工房所長(当時)・オープン小柳・大田若草宮岡が担当することになった。そして、途中Y工房所長の退職がありつつも、回収作業は2001年8月まで続いた。 この間、事件にかかわった各作業所の態度は様々であり、問題意識の差を強く感じ、さらに言うならば、この仕事に対する意識の差をはっきりと感じるようになる。「社会保険加入...

 その事実が分かってから発足した究明委員会は、それらの調査や支払本人からの回収方法について探っていくことになる。初代は【M作業所M所長(当時)・C作業所I所長(当時)】が中心となってくださり(この2施設については、この件に全く関与していない。が、お二人の知識を借りなければこの解明はうやむやになることを懸念して、巻き込んでしまった)始動した。私たちも未熟ながら【社会保険事務所】へ詰め、標準報酬月額の...

 1992年頃から、中堅職員Pが「新しい施設を作りたい」と、言い出した。S所長とP職員との仲は常に険悪だったが、この時ばかりはS所長も留意した。一旦その話は終結したものと思われていたが、翌年になると再度新しい施設を作るという言動が活発になった。勤務中に協力のお願いへ出かけることも頻回となり、S所長も追認することになる。そして1994年、新作業所設立と同時にP職員は退職した。  しばらくして、...

 そんな2月の中旬池上福祉事務所の森憲司氏(その後、オープンハウス運営委員として永くご尽力頂く)から、池上福祉事務所から近いところに丁度良い物件があると連絡をもらいすぐに物件を見に行った(オープンハウス設立①)。  工場跡のその場は、40㎡程であったが天井が高いため、広く感じられた。家賃も申し分なし。家主さんも、障がい者施設だと話しても特に気にする様子もなかったので、その2日後には手付金を払...

 相変わらず、大田区内のデイケアの卒業生が、どんどん発生していった頃、発起人であるMさん(のちの所長)は、各保健所家族会を回り、大田区内5番目の作業所作業所設立賛同者を募っていった。それが、オープンハウス家族会の始まりである。つまり、オープンハウス(以下、オープン)は家族会が初めににできそのあと運営委員会が出来たので、「家族会立」という大田区内でもそれまでの作業所とは、設立経緯が異なっていた。 ...
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