ENTASニュース

ENTASに至るまで/蒲田地域交流支援センターをどうするか②

 会議直後、小柳が会議室から退出するとすぐに(既存の)生活支援センターの所長(当時)が追いかけてきて「今回は、我慢してくれない」と、手を合わせて懇願された。その【生活支援センターの所長(当時)】が【授産施設設立】を願う私たちに懇願するその意味は、常識的には考えれば理解できない行動であり、また後ろに見え隠れするするものを匂わせていた。 (前回まで)
C00138-001D その後【蒲田地域交流支援センター】の活用法についての会議は開かれず【生活支援センターと福祉ホーム】として決定したといううわさを聞いた。

そしてその後、運営団体募集などの話は全く行われず、いつの間にかX係長(当時)がが関わるA会が社会福祉法人格を取得し、3~5階を無償貸借して「生活支援センターと福祉ホーム」を運営することが決まっていた。

さらに数年後、大田区を定年退職ししばらく他に身を置いていたX元係長が、その法人の常務理事として現れた。

 ある時、元部下にその件を問いただすと「そのくらいは、小さなもん(天下りレベルとしては)ですよ」と、答えた。                       (おわり)

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