当時大田区の糀谷保健所で「精神障がい対象のデイケア」を、行っていた。退院しても行き場のなかった人が多く、そのデイケア利用希望者は後を絶たず、利用期限を決めて定期的に卒業生を出すシステムになっていた。
せっかく退院し、在宅のみからデイケアに通い始めたにもかかわらず、デイケアを卒業するとまた在宅になってしまう。そんな状況を打破するために、ご家族や保健師さん関係機関の方々が中心となって、糀谷作業所に続き大田若草作業所(以下、大田若草)の設立にも、ご尽力いただいたそうだ。
1983年10月、大田若草は「西糀谷の地」で、開設される。しかし当初は、専任職員を雇う余裕がなく、利用料の徴収や家族が一日交替で利用者を見守りまたカンパを募るという、日々困難な運営状況であった。翌年4月より「東京都精神障害者共同作業所通所訓練事業運営費補助事業」として、年間280万円の補助金を受けることが出来るようになり、またそれと同時に大田区からも上乗せの補助が付いたことから、専任の指導員を1名雇用しての活動が開始される。
しかし、開設して1年後の1984年9月には東六郷の地元の人が良く知る「七辻」という地へ移転した。1年間で活動拠点を移動することによって、利用者に様々な影響が出たため、今後移転しなくて済む活動拠点をということを考え、大田区長への「陳情書」、区議会への「請願書(署名数:2,000筆)」を、既存の作業所や当時大田区の精神関係ボランティア団体を自称していたA会の協力を得て、提出。
入居決定後は、当時の大田区助役の方が、近隣の皆さんにご理解いただけるよう、説得にまわってくださったと伝え聞いている。そして大田若草は1987年4月に、現在の西蒲田4丁目の地に根を下ろした。~つづく~